石川県珠洲市「災害ボランティアセンター」派遣レポート③
1.酷暑のなか、どのような支援を行ったのか
及川:今回の現地調査班は九州ブロック(宮崎2名、福岡1名)四国ブロック1名、東海ブロック1名の体制でした。基本的に現地のボランティアドライバーと2人1組となって、現地調査班として活動を行いました。夏真っ盛りの時期に、海の近くで日差しを遮る建物も少なく、経験したことのない暑さのなかでの活動となりました。
山下:拠点となっている災害ボラセンの建物内もとても暑かったです。珠洲市社協の敷地内にある倉庫が災害ボラセンとなっているため、空調が充分ではない状況でした。発電機からエアコンの電源を取っていたので、途中止まったりしていました。
及川:5月に本会職員の山森が派遣された時と比べると、国道沿いの瓦礫は片付いていましたが、道路を1本奥に入るとまだまだ手付かずの瓦礫が多い印象でした。実際の被害者のニーズも、屋根にブルーシートを張って欲しい、家の中から家具を運び出してほしいなどが多かったため、重機が必要となる瓦礫の撤去にまで作業が回っていないのかもしれません。また、倒壊した家に再び住むために片付けるというよりは、公費解体に向けて荷物を整理するボランティアのニーズが多かった印象です。公費解体に関する情報も錯綜していたので、行政、解体業者、当事者、社協のなかで正確な情報を共有する難しさも感じました。
山下:家屋の片付けなどのボランティアを必要とされる方がたは、今でも避難所で生活されています。仮設住宅に入居されている方もいらっしゃいましたが、仮設住宅の建設が2〜3ヶ月遅れとなっていて、順番待ちが続いていると聞きました。30〜40代の現地ボランティアドライバーの方がたは、ご自身も仮設住宅に入居している被災者でしたが、漁師で休漁中ということもあり、ここ数ヶ月ずっとボランティアを続けていました。
2.被災地支援をとおして感じたこと
山下:想像以上の被害でした。瓦礫は撤去されていても、所どころにマンホールが突き出ていて、車が通りづらい状況には驚きました。この道路は崖崩れで反対側が完全に崩れ落ちています。
及川:予想以上でした。他の被災地に行ったことはありますが、地面がズレてしまっているほどの地震被害は初めて見ました。これだけ大規模に生活インフラが破壊されてしまっていると、復旧に相当な時間がかかってしまうのだろうなと思いました。
3.災害ボランティア派遣中に印象的だったこと
山下:現在でも一般人は立入禁止の仁江町に現地調査に訪れたとき、ある区長さんとお会いしました。ニュースでも大きく取り上げられた地区で、一時は土砂崩れで道路が寸断されて孤立状態でした。区長さんのすぐ隣の家は家族11人が土砂崩れに巻き込まれ、9人が生き埋めで亡くなったそうです。その被害に遭った家の物を、区長さんの家に運び込んで保管しているそうです。地区全員が避難していて、誰も戻れずにいます。区長さんの家も一部損壊には見えないほどの大きな被害を受けていました。
及川:災害ボラセン全体で「どんな相談も断らないスタンス」を貫いていることが印象的でした。最終的には対応が難しい案件だったとしても、一旦は受け止めて対応を考える。その姿勢が現場のスタッフに脈々と引き継がれていると感じました。とくに、地域を盛り上げたいと頑張っている現地の青年たちには心を打たれました。彼らがボランティアセンターを回していると言っても過言ではありませんでした。
4.この経験をどう活かしたいか
及川:古い家ばかりが倒壊していて、免震構造の家はしっかりと建ったままでした。震災前と同じ家に住み続けられるかどうかは、その後の生活再建に大きく関わってきますので、都城でも免震対策の重要性を周知していく必要があると思います。
5.災害派遣から戻って来てから、宮崎でも日向灘を震源にしたM7.1の地震があったが、どのように感じたか
山下:珠洲市の映像が思い出されてしまって、とても恐怖を感じました。
及川:都城で揺れを感じたとき、地震が急に自分ごとになりました。珠洲市を離れてしまうと、どうしても地震災害を遠く感じてしまいます…。あの石川県内でさえ、金沢市は日常に戻っているのに、数時間離れた珠洲市の復旧はまだまだすすんでいない…。
6.仮設住宅の訪問を行ってみて感じたこと
山下:30軒ほどの仮設住宅に訪問しましたが、平日だったこともあり、10軒ほどの方からしかお話を聞けませんでした。ちょうど『珠洲ささえ愛センター』の方がたの聞き取り調査と日程が重なってしまったこともあり、同じ日に重複して訪問した私たちを不審に思われて、「何も分かっていない他所の人間に話すことはない。」と断られたこともありました。『珠洲ささえ愛センター』と調整不足だった私たちも悪かったのですが、現地の方の心を開いて聞き取りを行う難しさも感じました。
7.歌のもつチカラ
及川:話は変わりますが、ちょうど「スターダスト☆レビュー」が慰問で歌いに来られたんです。社協の和室で、被災された皆さんの前でアカペラで歌ってくださって、なかには涙を流す方もいらっしゃいました。震災直後は、明日のことも考えられなかった人も、県外からの人的支援や文化による精神的な応援の結果、少しずつ1週間後のことを考えられるようになってきたのではないでしょうか。私たちのような県外者が行う支援も、少しは効果があったのかなと思いました。
8.都城からできる支援は
及川:今後、全国からの支援が縮小されていく流れになります。とくに、技術系のボランティアやNPOが撤退してしまうと、復旧が遠のいていくばかりだと思います。風化させないためにも、現地の今の声や活動を正確に伝えていく必要があります。震災から1年などの節目節目に、珠洲市社協職員の方に話をお聞きして、『ごーごー★ちいき』に情報を掲載していくことなども大切だと思います。
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